猿軍団39――俺たちの未来――
あれから何年が経っただろう。そう、彼らがオーストラリアの地面を踏んでから。
俺の名前は猿之助。猿吉の実の息子だ。猿吉は今、この猿軍団のボスを務めている。猿軍団と命名したのは、もちろん猿吉。元々は猿軍団39だったが、数が変わってしまったため、猿軍団と改名したそうだ。
俺が生まれたのは、親父や仲間がこの土地を踏んだ一年後だった。俺は長男。次男は猿衛門、三男は猿彦、そして、末っ子の長女が猿子。どうやら、親父は自分の子どもに『猿』という一文字を入れたいようだ。なぜなら、彼はその『猿』という文字に誇りを持っていたからだ。だが、俺は猿という文字がダサい気がする。猿というのは、(今は亡き)人間が俺たちを区別するためにそう呼んだのだ。だから、俺の子供には、絶対『猿』という文字は入れない。
「猿之助、足場が悪い。気ぃつけるんや」
父、猿吉が一団の先頭を歩いている。今は、南へ向かう旅の途中。天気は曇り、怪しげな沼地に足を踏み入れ、しばらく歩いた時だった。
「親父、休憩せぇへんか。みんな疲れているで」
「いや、まだや。ここで休むんは危険すぎる」
確かに、ここで休むには足場が悪い。それに何よりも、どこにワニがいるかわからない。しかし、後ろからついてくる仲間たちの足取りは重く、今にも倒れそうだった。
「でも・・・・・・」そう言いかけた時だった。行く手の先に、黄色いふたつの目が見えた。俺は咄嗟に身構えた。俺のほんの十数メートル先にワニがいるのだ。辺り一面に点在する細長いアシのせいで、遠くからはわからなかったのだ。しかも、そのワニの大きさというのが、三メートルはゆうに超えるものだったのだ。
猿吉は後ろにいる仲間たちにわかるよう、笛を吹いた。この笛は、他の動物に聞こえない周波数で仲間にしか通じないのだ。これも親父の発明品だ。後方から、了解という意味の笛が返ってきた。俺たちはよほど近くにいるとき以外は、声を出して連絡はしない。敵を挑発することになるからだ。
見ると、ワニの後方約二十メートル先に大きな木があった。全員が登っても大丈夫そうだ。問題は、どうやって木に辿りつくか、だ。
「二手に別れよう」親父は言った。喋る時でもワニから目を逸らさない。ワニはまだ動く様子はなかった。
「それより」俺は言った。「おとりがええ。俺がおとりになる」
「やめろ。危険や。死者を出したぁない」
「なら、戻るべきや」
その時、後ろからも笛の音がした。危険信号だ。俺のお袋と兄弟たちは後ろにいる。無事でいることを願うが・・・・・・。
「後には引けへん。二手に別れて、あの木で落ち合おう。ヒロ、お前が左の指揮を取れ。わいが右の指揮を取る」
「わい」というのは、リーダーが自分のことをそう呼べる、いわば特権のようなものだった。
「はい。お任せを」
ヒロは親父の右腕だ。宇宙に行ったときも一緒だったらしい。身体つきは、猿軍団の中で最もがっしりしている。親父が知力なら、ヒロは腕力だろう。
猿吉が二手に別れる合図を出した。笛を二回――一回目は短く、二回目は長く――吹いた。俺たちはさっと、左右に別れた。
俺はヒロに続いた。全速力で駆け抜ける。やった、ワニを追い越した。
地面がぬかるんで歩きにくい。さっきよりも、水かさが増えている。
「猿之助」ヒロが俺を呼んだ。「ワニは群れで行動することもある。仲間がいるかも知れへん」
「おう。緊張感を持てってことやな」
「ああそうや。四方八方に集中せい!」
ワニは今のところ一匹だけだ。だが、ワニは動き出した。俺たちのところだ。いや、後ろだ。
後ろには、体力が消耗し歩けなくなった仲間がいた。ワニはそいつに狙いを定めている。と、ヒロが後ろへ走り出した。
「猿之助、お前がみんなを引っ張れ。ええな!」
返事をする暇はなかった。ヒロの勇気は凄いが、今は俺がみんなを引っ張っていかなくてはならない。
「みんな、ついて来い!」
みんなは一瞬ためらったが、ここは行くしかないと、思いとどまった。
ヒロは無事だろうか。あの猿は、顔は見えなかったがまだ子供だったはず・・・・・・。心配ではあったが、あえて振り返らなかった。振り返ったら、もう走れそうになかったから。
その時だった。バリバリと骨を砕くような音が聞こえたのは。俺はどうしても、振り返るのを止められなかった。頭は行かせまいとしているのだが、体が勝手に動いちまう。
見ると、ワニが猿を飲み込むところだった。遠すぎて、小猿だったか、ヒロだったかはわからなかった。よく見て、確信することもしなかった。それは辛すぎることだから。
木はもうすぐだ。親父の一行はもう先頭から木にたどり着いている。俺たちは走った。足元がぬかるんでうまく前に進めない。運良く周りにはワニはいないようだ。
木は俺たちが乗っても折れそうにない大木だった。
「猿之助、ヒロはどないした?」親父が聞いてきた。
「仲間を助けようとして・・・・・・。そのまま戻ってけぇへん」
「二匹ともか」
「ああ。きっと死んだんや・・・・・・。俺は何もでけへんかった」
「猿之助、お前は仲間を導いたやないか。そう簡単にはでけへんで」
「親父」
その時、向こうから何かが駆けてきた。ヒロだ。
ヒロは木に登った。だが、顔の半分には引っかいたような傷があり、そして左足の踵から先がなかった。
「ヒロ!」
俺たちはヒロに駆け寄った。
ヒロは俺たちを見た。悲しそうな目だった。
「子供は食われちまいました」
「そうか、そうか。だが、お前は生きとる。怪我の手当てをせえへんと」
「そんなことより、早く移動したほうがええでしょう。私は血の臭いを放っている。そのうち、臭いを嗅ぎつけたワニがうようよやってくるでしょう」
「しかし、その出血では、早く治療しないと」
「私のことはいいんです。私をここにおいて行ってください」
「馬鹿なことを言うな。そんなことできるはずないだろう。君は私の戦友であり、親友だ」
「嬉しいこと言ってくれるな。猿吉」
ヒロは息苦しそうにそう言った。喋り方も昔に戻ったようだ。
「さあ、止血しよう。誰か止血できそうなものを持ってないか?」
「ここにあります」
雌猿が親父に包帯を手渡した。
「おい猿吉、そいつはスペースシャトルから持ち出したものじゃねぇか。そんな貴重なもの、俺のために使うな」
「喋るな。悪化するぞ。猿軍団にはお前が必要だ」
「ありがたい」
親父は傷口に包帯を巻いていった。ヒロは痛みをじっと堪えていた。
包帯を巻き終わると、ヒロは親父を見た。その眼差しはボスを見るというよりも、親友を見るような目だった。