狛猫
1
その日は夏なのに不気味なくらい涼しい日だった。台風でも来るんじゃないか。
ここは京都のとある寺。清水寺や金閣寺のように賑うことは祭りのときもない。
俺はここの狛犬ならぬ狛猫。なぜ猫かって?それには悲しい事情があったんだ。
この寺が今みたいにボロじゃなかったとき、この寺に住んでいた坊さんが犬に殺される夢を見たそうだ。なんと、その犬がこの神社の狛犬そっくりだったらしい。そこで、坊さんは犬がだめなら猫だ!って狛犬を壊し、代わりに狛猫にしたそうだ。しかし、雌の狛犬を壊したとき、空から声が聞こえたんだ。
「私をよくも殺したな。夢に出たのは悪かった。だが、私は忠告しようとしたんだ。もうすぐ山犬に殺されるぞ、と」
坊さんは顔を真っ蒼にした。布団に包まり、何日も震えていた。だが、さすがにお腹がすいて、寺を出たとき、山からシロクマみたいな犬が出てきた。坊さんはあっという間に噛み殺されてしまったそうだ。
そのことを不憫に思った村の人たちは、坊さんの葬式をした。坊さんは成仏できたのだろうか。その日も、今日みたいな不気味な天気だった。そんで、山から聞こえたんだ。山犬の唸り声が――。
村の人たちは噂した。あの大山犬は、壊された雌狛犬の化身だったんじゃないかと。
そのときは、もう戦の真っ最中だった。平家と源氏の。だから狛犬の修理どころじゃなかった。村の子供は、坊さんが乗せようとしていた猫の石像を、犬の代わりに置いたんだ。それが俺だ。
それからずっと、俺はこの寺で雄の狛犬と一緒に、寺を見守ってきたんだ。
――そして今。
向こうに雷が落ちだ。
また落ちた。今度は近くに。
そして、空から一筋の雷が落ちた。俺と右隣の狛犬の真上で枝分かれし、俺たちに直撃した。
気絶するかと思ったくらいだ。まだ、手足がしびれている。
横で隣の狛犬がぶるっと震えたような気がした。まさかな。狛犬は動物じゃない。
しかし、俺が思ったこととは裏腹に、その犬は台から飛び降りた。
なぜだ。
その犬は、獅子のような姿だった。鬣としっぽは先がくるんとカールしている。
犬は振り返り、俺にこう言った。
「お前も動けるんだろ」
ハッとし、俺は前足に力を込めた。足は自然に持ち上がった。体を見ると、どうやら俺は虎猫のようだった。俺は奴に話しかけていた。
「お前、誰だ?」
犬は大きく溜息をついた。
「俺たち、何年一緒にいると思ってんだ」
「さあ、数えたことなかった」
「ふん、まあいい。俺は正影。お前は」
「俺は・・・・・・」
「名前、思い出せないのか」
「思い出せない以前に、なかった気がする」
「そうか。なら俺がつけやろう」
正影はしばらく考えてからこう言った。
「義影だ」
「ヨシカゲ?」
「嫌か?義影」
「いや、いいと思うけど何で」
「正影に義影。いいコンビになりそうだな」
正影は嬉しそうだった。俺は曖昧にうなずいた。
「降りて来いよ」
「おう」
飛び降りた。かっこよく着地するはずだったが、案の定地面に顔面から激突。
「痛てぇ」
正影が俺の前に立った。どうも助けてくれるようではなさそうだ。
「お前、猫だろ」
「まあな」
「ドジか」
正影のストレートすぎる言葉に、俺は一瞬言葉を失った。だが気を取り直して、起き上がり際にこう言ってやった。
「悪かったな。ドジで」
「別に悪くないさ。千年もここに突っ立ってりゃ、足も弱っちまうさ」
「お前はぴんぴんしてるみたいだな」
「俺は見てのとおり、野生のオオカミより力が強い」
俺は素朴すぎる質問をした。
「何で」
「決まってるだろ。俺を作った職人が、獅子のようにしたからだよ」
「じゃあ、何で俺はこんななの」
「それは・・・・・・きっとお前を作った奴が、強そうにしなかったからだろ」
俺は正影が言うことの見当はついていた。なぜなら、俺を作ったのは例の坊さんだからだ。石を彫って作った正影と違い、俺は粘土製だった。犬に殺される夢を見て、俺を強く作るわけがない。
俺は質問を変える事にした。
「まあいいが、俺たちはどうして動けるんだ」
「それは俺にもわからない。だが、千年前の出来事と関係していそうだな」
俺もそんな予感はしていた。正影は急に明るい顔をした。
「まあいいさ。そんなことより、俺たちは動けるんだ。町を探検しようぜ!」
「そんな軽いノリで大丈夫か?」
「平気平気。さ、行こうぜ。千年後の京都」
正影は歩き出した。俺も後を追った。
神話に出て来そうな獅子と、野良猫みたいな俺が連れ立って歩いているのは、きっと不思議な光景だっただろう。
神社の長い階段を降りきったとき、そこに腰掛けていた婆さんは、こっちを見るなり、すっ飛んでいった。
「何だろうなあ。ああいうの」俺は呟いた。
「きっと俺たちにびびったんだ」
俺たち、という言葉が頭に引っかかった。俺たちじゃなくて、お前だけだろうな。
「なあ、食えそうなもの、探そうや」
「そうだな。腹も減ったことだし」
俺たちは、魚屋を狙うことにした。
俺たちは店の前まで来ると、人間に見られないように、物陰に姿を隠した。
「おい義影、取って来い」
ちくしょう。正影に命令されてしまった。
「やだよ。お前が行けよ」
「俺は目立つだろ。ライオンみたいで。お前なら」
「野良猫みたいってか?」
皮肉を込め俺は聞いた。
「ん?・・・・・・まあそんなところだ」
「はぁ。あんな、確かにお前のほうがでかい。だが、子分でもパシリでもない!」
きっぱり言ってやった。だが、
「いいから行け」
あっさり俺は正影に押されてしまった。仕方ねえな。
男は度胸!
キャッチ!
「待ちな!泥棒猫!」
店の肥えたおばさんが叫んでいた。だが俺は待つわけがなく、正影がいる路地まで突っ走った。
正影はイワシを見て、
「これだけかよ」
と文句をたらしやがった。
「るっせーな」
ムカついた。腹が立った。せっかく盗ってきたのに、ケチをつけられるとは。
「まあいいか」
正影はイワシを半分にした。
「俺しっぽ!」
「あ」
正影は体に似合わず、せこい一面があるようだ。
俺は仕方なく頭を食べた。案外うまい。イワシとはこれほど美味いものだったのか。
その時、俺は地面に何かが落ちているのに気がついた。
「何だ?」
拾うとそれは、携帯電話だった。寺にいた時、住職が使っているのを何度か見たことがある。
「どうした?」
正影が近寄ってきた。
「携帯電話だ」
「ふーん。で?」
「で、って言われても」
その時、携帯電話が鳴った。
「わっ」
俺たちは仰け反った。が、俺は勇気を出して出てみることにした。
「はい、もしもし」
「っちょ!」
正影が手で止めようとしたが、俺はよけた。
「おお、びっくりさせて悪かったな」
その声は、人間とは違うもののように思われた。そもそも、俺は猫だ。人間に俺の言葉が通じるはずはない。
「あんた、誰?」
「わしか?わしゃ仙人だ。やってもらいたいことがある」
「仙人?は、頭おかしいんじゃねぇの?」と言いたかったが、俺はその言葉をぐっと飲み込んだ。
「え、何ですって」
「だから仙人だ。いいか、お前招き猫だろ」
「狛猫です」
「狛犬?」
「いえ、狛猫です。狛犬もいますけど」
「猫?まあいい。お前んとこの神社の犬が暴れまわっている」
「犬?もしかして千年前の!」
「ああ。その犬だ」
その時、正影は俺から携帯を奪い取った。
「胡蝶を知っているのか!」
「おいおい、大声を出すな。おや、お前はさっきの猫ではないな」
「それより胡蝶はどこにいるんだ」
正影の口調は激しかった。
「その胡蝶が、こちらの世界で暴れておるんじゃ」
「こちらの世界だと?」
「ああ、お前らがいる地球とは逆の世界じゃ」
――逆の世界。その言葉が俺の脳裏に焼きついた。
「胡蝶がそこにいるのか」
「ああ。どういうわけか迷い込んでしまったのじゃ」
「俺たちもそこに連れて行ってくれ!」
「そう大声を出すでない。言われなくても来てもらうつもりじゃ」
「本当か!」
聞き耳を立てていた俺は、正直行くのは嫌だった。俺が作られたせいで壊された狛犬だ。何をされるかわからない。
「おい、猫」
電話の向こうから俺は呼ばれた。
「あ、はい」
俺は正影から携帯を奪った。
「行きたくない気持ちはわかる」
仙人は俺の心を読んだようだ。
「行きたくないとなぜわかった」
近くにいる奴の表情を読み取って、心を見るのはできそうだ。しかし、受話器の向こうの俺の心を当てるとは、やはり、仙人の術なのか。偶然なのか。
「わしは仙人じゃ。そのくらいできて当然じゃろうが」
恐ろしい術師だ。彼が言っているのは本当のことなんだろう。いや、もしかしたらすぐ近くにいるのではないのか。だとしたら俺の表情が見えていたのかもしれない。
「もしかして、あんた、俺たちのすぐ近くにいるんじゃないか」
「いいや。だが、お前たちのいる場所や、表情や、行動は手にとるようにわかる。見なくてもな」
恐ろしい。彼を敵にするのは不可能だ。
「いいか。今すぐにでも来てもらう。お前がどう思うかはその次だ」
「・・・・・・あがいても無理そうだな。正影も行く気だし。よし、俺も行くぞ、あんたの世界へ」
「よし。ならこちらの世界へ通じる道を教えよう。だが、道は一度しか使えない。近くにマンホールがあるだろう。それがこちらへ通じる道だ」
ホントかよ。マンホールの道?下水道じゃねえの。だが、俺はこう言った。
「わかったよ」と。
仙人は、「よしよし。あ、そうだ。電話は持っておくんじゃ。通話手段になる」と言った。
「わかった。ところであなたは」
「名前か。聞かないでくれ。とっくの昔に失ったんじゃ」
仙人の口調は悲しそうであり、寂しそうだった。
「じゃが、君の名前は」
「義影です。こいつは」
正影の名前を言おうとしたら、
「正影じゃ」
と、仙人に当てられてしまった。俺がなぜわかったかを聞く前に電話を切られてしまった。
正影は俺を見つめた。
「何だって」
「どうやら、相当、手ごわい人物のようだ」
「手ごわいって、最初っから敵視かよ」
俺は話を逸らした。
「さあ、まあ、とりあえず彼の世界へいってみるか」
「おう」
俺は近くのマンホールを見つめた。
「これだ。正影」
「これって」
「マンホールだ」
「下水道?」
「これが道だ。正影、開けてくれないか」
「わかった」
正影はマンホールの淵に爪をかけると、一気に力を込めた。
「おりゃ!」
マンホールは持ち上がった。俺は駆け寄って中を覗いた。正影もマンホールを置き、中を覗いた。
「・・・・・・何だこれ」
螺旋階段だった。中は真っ暗。そこに真っ白な螺旋階段が伸びていた。
「相当深そうだな」
「地獄まで続いていそうだ」
「不吉なこというな」
俺は正影の一言に動揺した。まさに、そのとおりだったから。
「行こうぜ。考えるより行動だ」
正影は俺の前に立って、階段を降り始めた。俺も携帯をしっぽに引っ掛け、後に続いた。
さっきも言ったが中は真っ暗だ。猫の俺でも、階段を踏み外さないのがやっとだ。
「なあ、懐中電灯持ってないか」
「もってねえよ。それにしても真っ暗だな」
「ああ、この先が心配だ。このまま真っ暗だったら、これから大変だぞ」
「そうだ」
正影は何か思いついたようだ。
「携帯貸せ」
俺はしっぽごと正影に差し出した。
「これだこれだ」
正影はなにやら携帯をいじり始めた。すると、なんと携帯がライトになったのだ。
「うわ!」
携帯からでた光を見て俺は声を上げた。
「へへへ。ライト機能があるんじゃないかって思ったんだ」
正影は得意そうだ。
「お前、よく知ってたな」
「夏によく学生が肝試しに来たじゃんよ。その時に見たんだ。携帯でライトだしてんの」
「そんなことあったなあ」
俺たちはずっと寺にいたので、記憶はほぼ同じだった。
「運よくバッテリーは『満』だ」
「それはありがたい。でも大切に使わなきゃな」
「ああ」
俺たちはうなずきあった。
地中は予想以上に深かった。何分いや、何時間歩いただろ。俺たちはひたすら階段を降り続けた。
「正影、時間を確認してくれないか」
「おう」
正影は携帯を開いて時間を確認した。すると・・・・・・。
「まさか」
「どうした?」
「さっきと時間がまったく変わっていないんだ」
「なんだと、故障じゃないのか」
「いや、他はなんともないし」
「変だ。俺たちはずっと階段を降り続けているのに」
その時、螺旋階段の先に、扉があるのを俺は見つけた。
「扉がある!」
俺たちは扉へ向かって走った。扉についたとき、正影は
「さあ、行こう。きっと時間の事とも関係しているはずだ」と言って扉を押した。
2
扉の先は、俺たちが思っていたものとはかけ離れていた。地下なのに空がある。
「・・・・・・」
俺は息を呑んだ。そこに広がっていたのは草原。すぐ向こうには湖がある。周りには小高い山がある。
「綺麗なところだ」
正影は一歩前へ出た。すると、甲高い鳴き声が青空に響き渡った。見上げると、見たこともないような、美しく、たくましい真っ赤なドラゴンが飛行していた。
俺たちはさっと物陰に身を潜めた。
「何だあいつは」
「しっ!大声を出すな」
俺は正影を制した。
「龍か」
「龍というよりドラゴンだ」
その生き物は、トカゲのような体に、大きな翼が生えていた。羽毛じゃない。コウモリみたいな翼だ。しかも角まで生えている。だが、驚いた理由はそんなものじゃなかった。大きさだ。半端なくでかい。ここからじゃ、確かなことは言えないが、俺たちが乗ってもびくともしなさそうだ。
正影はあんぐりと口を開けた。笑っちゃうくらいすごい表情だ。勿論、笑わないけど。
「何で龍がいるんだ」
面倒臭いので、訂正しないことにした。
「わからない。それにここは地下の世界のはず」
「太陽まであるしな。やっぱり、地下じゃなくて、まったくの別世界なんじゃないか」
「信じられない」
正影は湖の方を見て、眼を見開いた。
「・・・・・・」
「どうした」
俺も眼をやる。そこには、人魚がいた。いや、正確には半漁人とでも言うべきだろう。
「なんだありゃ」
半漁人が群れで水泳をしている。全員男のようだ。海パンをはいている。
「・・・・・・海パンをはいた半漁人」
正影がぽゆつりと呟いた。俺は吹き出しそうになった。
「変なこと言うな」
「だってそうだろ?」
「まあな」
俺たちは呑気な会話をしている場合じゃない事を思い出した。
「ドラゴンがまだいる」
「ああ、ここから逃げよう」
「ひとまず、さっきのドアに入るんだ」
振り返ったがドアは存在しなかった。
「何でないんだ!」
正影は叫んだ。
「落ち着けって!」
俺は暴れる正影を押さえつけた。勿論、気持ちは。
「これが落ち着いていられるか!なんでドアが無いんだ!俺たちはあのドアから来たんだぞ!」
「仙人が言ってたじゃないか、道はなくなると」
「そんな・・・・・・」
正影は力なくへたり込んだ。
「半漁人に助けてもらうか?」
俺は冗談のつもりだったのに、正影は本気にしあがった。
「それがいい」
ほんとに嫌になる。半漁人に助けてもらうなんて。
俺たちは恐る恐る半漁人に近づいた。
「すみません、助けてくださいな」
半漁人は『はぁ?』って顔でこっちを見た。
「どなた」
「えっと、始めまして俺は義影、こっちは正影です」
「ふーん」
半漁人の反応は驚くほどに薄かった。しかも、自分から聞いておいて、上の空だ。
「あの、聞いてます?」
上空のドラゴンを気にしながら、俺は聞いた。
「ん、あー」
半漁人もドラゴンを見ている。俺の脳裏にふと思ったことがあった。『ドラゴンは俺たちを襲わないんじゃないか?だから、半漁人はのんびりしているんだ』
「あ、やっぱり大丈夫でした」
俺は半漁人から離れようとした。すると、ドラゴンが上空から急降下してきた。俺と正影はドラゴンとぶつかりそうになり、伏せた。半漁人が食べられる!と思ったら、水に潜って危機一髪だった。
ドラゴンは水が嫌いなようだ。驚くようなスピードで潜っていった半漁人を必要に追い回すことはしなかった。ただし、口から炎を出すのは忘れなかった。
「危ねぇ」
正影は心臓を押さえながら言った。俺は今にも気を失いそうだ。
「やっぱり襲うんじゃねえか」
「龍だからな」
「とにかく安全なところを探そう」
ドラゴンは炎を吐きながら、上空を旋回していた。
「湖を泳ぐってのはどうだ?」
「お前、泳いだことあるのか」
俺の質問に、正影は答えることができなかった。
「まあいい。俺は山に登って逃げたほうが安全だと思う」
「何で」
「山は木があるだろう。隠れることができる」
「そうだな」
俺たちは山を選んだ。この選択が俺たちの人生を大きく変えることになる。
ドラゴンの眼を盗んで、俺たちは山へ分け入った。
「不気味な山だ」
さっき見たときは綺麗な山だと思った。しかし、入ってみると暗くて不気味だ。
その時、突然携帯が鳴った。
「わ!」
正影は携帯を落っことしそうになった。
「もしもし」
正影は電話に出た。無論あの仙人からだった。
「元気か?」
「元気なわけねぇだろうが!」正影は怒鳴った。
「おお、元気そうじゃないか」
「あんたのせいで、ひどい目にあったんだぞ」
「わしのせいと言うのか?なぜじゃ」
言われてみると、ここへ来たのは正影が望んだからだ。
「の?わしは悪くないじゃろ?」
「まあな。で、何のようだ」
「わしに会わんことには、胡蝶を見つけるどころじゃなかろうが」
俺たちはうなずいた。
「で、わしのところに来てもらう、思てな」
「あんたが来たほうが早いんじゃないか?」
正影はもっともな質問をした。
「戯け!」
なぜか仙人の喝。
「わしはもう歳じゃ。身体をちょっと動かすだけで、神経痛になるんじゃ」
「ほー、それはそれは」
「じゃで、お前らが来るべきじゃ。そもそも、わしがぴんぴんしとったら、胡蝶のことをお前らに頼まんじゃろうが」
「ほー、まったくだ」
正影の適当な返事に、俺は吹き出しそうになった。
「わかったら、さっさと来んかい!」
仙人は電話を切ってしまった。
「来んかい、ってどこに」
地図のメールが送られてくるわけでもないし、番号の履歴は残っていなかった。
仕方なく、俺たちは山を登っていった。
「あの仙人って奴、なんか間抜けだよな」
「おいおい、聞こえてるかもしれないぞ」
「大丈夫だって。いちいち聞こえていたら、こっちだって病気になるぜ」
「そうだな」
道なき道を登っていた俺たちは、獣道があるのを見つけた。
「獣道があるぞ」
「ああ。行くか?」
「勿論!」
正影はノリノリだった。
獣道のおかげで、さっきよりは歩きやすかった。歩き続けると、山が開けたところに出た。
「何だここは」
十五、六メートル先に、馬鹿でかい鳥の巣があった。
「それにしてもでっかい巣だな」
近づこうとした瞬間、さっきのドラゴンが空から舞い降りてきた。ドラゴンが巣の近くに来たとたん、ちびドラゴンが顔を出した。
五、六匹のちびドラゴンたちは激しく喚きたてた。
「なんだありゃ」
正影は、半漁人を与える親ドラゴンを見て、眼を丸くした。
「ギーギーギー」
死んだ半漁人をちぎりながら、美味しそうに食べているちびドラゴンたちの姿は、かわいいようでもあり、恐ろしかった。
半漁人を残していった親ドラゴンは、また空へ飛び立った。
「・・・・・・恐ろしい怪獣だ」
俺たちは呟いた。ちびドラゴンは俺たちの存在に気がつかないらしい。美味しそうに半漁人の肉を頬張っている。
「逃げよう」俺は言った。
「ドラゴンの巣があるなんて」
「俺にいい考えがある」
俺の提案を無視して正影は説明を始めた。
「あのドラゴンを一匹失敬するんだ」
「は?」
「仙人がいるところまでは、結構遠いはずだ。だが、ドラゴンに乗れば簡単だ」
「そんな、神話みたいなことが現実にできると思うか?」
「この世界自体、神話みたいなもんだろ」
「・・・・・・ま、まあな」
「さあ、親ドラゴンが戻ってくる前に、ちびドラを失敬しようぜ!」
・・・・・・ちびドラ?
俺たちは空の様子を伺いながら、巣の前に来た。ちびドラゴンたちは餌がもらえると思ったらしく、口を大きく開けてきた。
「餌なんかねえよ」
俺たちは半漁人の死体をできるだけ見ないようにして、ドラゴンの品定めを始めた。
「おい義影、卵があるぞ」
「なに」
俺は正影のほうへ近づいた。そこには、黄金の卵がひとつあった。
これだ。
「正影、これにしよう!」
「おう」
卵を持って、俺たちは大急ぎで山を登り始めた。どうか、親ドラゴンに見つかりませんように。
山の頂上に来たあたりで、ドラゴンの雄叫びが聞こえた。
「来るぞ」
正影は俺の前で、山を下り始めた。身体の大きさや、俊敏性は正影の方が圧倒的に優れている。俺は遅れ始めた。
「正影」
「ええい!」
正影は俺が来るのを待っていた。俺が来ると、背中を咥えて持ち上げた。
「卵、落とすんじゃねぇぞ」
正影は走った。道なき道をひたすら走った。傷だらけになりながらも。
その時、正影は背後に気配を感じた。親ドラゴンだ。卵を取り返しに来た。木の上を飛びながら俺たちを見失わないようにしている。
「きっと、山を出たところで捕まえる気なんだ!」
正影は何も言わずに走った。
山を抜けると、そこは平原だった。隠れられそうな場所はひとつも無い。全てが終わったと思った。ドラゴンはかっと口を開いて、急降下してきた。
「うおー!」
ドラゴンの口が俺たちを飲み込むと思った瞬間、俺たちの視界が真っ暗になった。
3
気がつくと俺はあたりを見回した。ドラゴンの腹の中にしては、嫌な感触も、変な匂いもしない。
「ここは」
ここは、穴の中だった。動物の巣のようだ。俺は地面に横たわっていた。
「気がついたか」
声を掛けたのは、正影ではなく大きなネズミだった。頭の毛が薄くなっている。俺はわからなかったが、どうもプレーリードッグにそっくりだ。もう少しサイズが小さかったら、ランチにしても良かったな。なんて、失礼なことを考えてしまった。
「大丈夫ですか。あなたは誰です」
ネズミが話し掛けた。
「俺は義影」
「そうですか。気がついて何よりです。でも、あなたのお連れさんは、背中に大火傷を負っています」
俺は慌てて正影を探した。すると、床に正影がうずくまっていた。
「正影!」
俺は正影のところへ駆け寄った。
「今は静かにしておやりなさい」
彼は俺の肩にそっと手を置いた。
それにしても、この生き物は正影を見ても驚かない。自分より遥かに大きい獅子がいたら、腰を抜かしてもおかしくないはずなのに。
「あなたは正影を見て驚かないんですね」
「このくらいでは驚かんよ。なんせ、私らは毎日のようにドラゴンを見ているんだから」
「そうでしたか。ところであなたのお名前は」
「私か、私はダグラス」
「ダグラスさん、どうして俺たちを助けてくれたのですか」
「この一族に悪い奴はひとりもいない。君たちがここへ落ちてきたとき、私は咄嗟に助けるべきだと思ったよ」
「どうしてです?」
「伝説があるんだ。ある日、ふたりの勇者が現れて、この世界に平和を取り戻す、と」
「なるほど、案外本当かも」
「どういうことだ」
「俺たちは仙人に頼まれて、この世界へ来たんだ。胡蝶という山犬を倒してくれと」
「仙人?この世界?まるで別の世界から来たような口ぶりだな」
「俺たちは日本から来たんです」
ダグラスの顔が一瞬青ざめた。
「日本?どこだ」
「北半球はご存知ですよね」
「知らん」
「え?」
「まあいい。やはり、君たちは救い主だったか。ところで、君が大事そうに抱えていた、あの金ぴかのものはなんだね?」
「あれですか、ドラゴンの卵です」
ダグラスは言葉を失った。
「・・・・・・何だって」
「ドラゴンの卵です。山から下りて来るときに失敬したんです」
「何でそんなことをしたんだ!」
ダグラスは声を張り上げた。
「え、仙人のところに行くのに、ドラゴンを使えば簡単だと思ったからです」
「確かにドラゴンの成長は早い。だが、あのドラゴンの卵だぞ。孵化したら大変なことになるかもしれないんだぞ」
「最初に見た、物を親と思い込むんでしょう。だったら、俺が最初に見られてやればいいんです」
「確かにそうだが」
ダグラスは曖昧にうなずいた。
「きっと大丈夫です。俺を信じてください」
「わかった。君たちはきっと伝説の救世主だ。信じるよ」
「ありがとうございます」
「さあ、お連れの傷が癒えるまで、ここにいてくださいな」
ダグラスは手を二回叩いた。すると、横にある穴から、四匹のネズミたちが出てきた。
「父さん、どうかした?」
「さあ、お客さんだ」
みんなが俺たちのほうを見た。猫を見たネズミなら普通、ぎょっとするはずだ。しかし、彼らは俺たちを歓迎してくれた。
「ようこそ」
「はじめまして。俺は義影です。こいつは正影」
「あらー、ひどい怪我」
みんなは正影のほうへ行った。俺のすぐ隣だ。
雄ネズミが二匹、雌が二匹。
「あたし、薬を取ってくるわ」
一番若いネズミが、部屋(?)を出た。他のネズミたちは俺に向き直った。
「失礼。僕はトム。一家の長男です」
「パーシー。次男」
パーシーはぶっきらぼうに答えた。
「私は、カレン。彼らの母です。そして、今出て行ったのが、末の娘のクリスよ」
みんなは、俺に握手をしてきた。
「あ、どうぞよろしく」
すると、ダグラスが俺が来た経緯をぺらぺら話し出した。そして、俺たちが伝説の救世主だと締めくくった。みんな大盛り上がりだ。その時クリスが戻ってきた。
「さ、お薬よ」
クリスは、ぬめりがある葉っぱを正影の身体に貼り付けた。
「これでよし」彼女は満足げにうなずいた。
「それは薬草?」
「ええ、そうよ」
「美味しい?」
俺は冗談を言った。
暫しの沈黙。
みんなは気まずそうに笑ってくれた。こんなときに不謹慎でしたと俺は謝った。
「いいのよ、そんなの」
カレンが優しくフォローした。
「さあ、みんな飯の仕度だ」
苦笑いしたダグラスの呼びかけで、みんなは飯の準備に取り掛かった。
「義影さん、ゆっくり休んでいてください」
「いえ、俺も手伝いますよ」
「いいえ、ドラゴンに追いかけられて疲れたでしょう。こんなところですが、どうぞ休んでいてください」
「ありがとうございます」
俺はお言葉に甘え、正影のほうへ行った。正影はぐっすり眠っていた。薬が効いたのだろう、安らかな顔だった。
「さてと」
俺は、台の上のドラゴンの卵に手を伸ばした。卵はかすかに暖かかった。
「きれいな卵だ」
俺は殻の美しさに見とれた。
「いいドラゴンになれよ」
あんな乱暴そうなドラゴンは嫌だな。まあ、俺が卵を盗んで怒ったのは分かるけど。
しばらくすると、飯が出来上がった。
「さあ、義影さん思う存分食べてください」
「ありがとう。正影のぶんは」
「ああ、彼のぶんなら要らないわ。きっと朝まで眠ってるでしょう」クリスが答えた。俺もうなずいた。
「さあ、食べようじゃないか」
その日の晩ご飯は、笑っちゃうくらい豪華だった。どこのフルコース?って感じだ。
「今日は、救世主のおふたりを歓迎して、かんぱーい」
「かんぱーい」
俺以外みんなノリノリだ。救世主なんて言われたら、プレッシャーが半端じゃない。正影は相変わらず眠っているし、もうどうなってんだ。
「さあ、ビールでもいかがかな?」
酔ったダグラスが、俺にビールを勧めた。
「未成年じゃないんだろ?」
ははは。齢千年以上ですわ。
言われるがままに、ビールを飲んだ。
「うぐっ」
「どうですかな」
「う、まいです」
めちゃくちゃまずい。よくこんなものを飲むな。だが、ダグラスはもっと飲めと、ビールを勧めた。カレンが止めるまで俺はビール地獄だった。
くたくたになって、眠りにつくころ台の上の卵が、明るく光りだした。
「・・・・・・ま、眩しい」
俺は卵に近づいた。自分が最初に見られて親代わりにならなくては。
「義影さん」
ネズミたちは部屋の隅で、怯えていた。
メキメキと卵にひびが入った。もうすぐご対面だ。卵の光は一層強くなった。
周りが見えなくなったころ、光はおさまった。台の上には、金の鱗を持ったドラゴンがうずくまっていた。
「・・・・・・ちびすけ?」
ドラゴンが俺のほうを凝視した。
「・・・・・・」
ドラゴンは、俺から眼を逸らし、ネズミ一匹一匹を見た。その後、眠っている正影を見て、また俺に眼を戻した。
「くぅん」
鳴いた。
「げ、元気か?調子は」
「くぅん」
「俺がお前の父ちゃんだ」
ドラゴンと俺はじっと見つめあった。
「さあ、よしよし」
俺がドラゴンを持ち上げた瞬間、ドラゴンは俺の指に噛み付いた。
「いたっ」
ドラゴンは首を引っ込めた。
「痛いだろ。噛んじゃだめだ」
申し訳なさそうに、ドラゴンは頭を下げた。
「気をつけて、な」
俺はドラゴンを台に戻した。ネズミたちも恐る恐る近づいてきた。ダグラスは酔いが一気に醒めたようだ。
「これがドラゴンの赤ん坊か。かわいいような、恐ろしいような」
ダグラスはドラゴンをツンツンつついた。
「やめなさい」クリスが止めた。
「変ね。卵から孵ると普通、濡れているはずなのに」
「こいつはドラゴンだ。ニワトリじゃないんだぜ?」パーシーが嗜めた。
「そうかしら」
みんな興味心身だ。ただし、正影だけは呑気にいびきを掻いて眠っている。
そのうち、ドラゴンは大きくあくびをして、眠ってしまった。
「私たちも寝るとしようか」
ネズミたちは眠った。俺は一晩中、ドラゴンの寝顔を見守っていた。
4
朝になると、正影が一番に起きた。
「正影、調子はどうだ?」
「ん、何のことだ?」
「背中の火傷の傷だよ」
「ああ、ドラゴンに毛を燃やされちまったとこだろ。今は痛くないよ。そこだけ禿げちまったけどよ」
「クリスのおかげだな」
「クリス?ところでここはどこだ」
「ここはダグラスさんたちの家だよ」
俺は寝ているネズミたちを起こさないようにして、簡単に紹介と昨日の出来事を説明した。
「そうだ、卵はどうした?」
「ここだよ」
俺は正影を台のほうへ手招きした。
「・・・・・・こいつはいいぜ」
正影はドラゴンの美しさに感動したようだ。
「でも俺が眠ってるうちに、産まれるなんてナンセンスだぜ」
「しょうがねえよ」
「そうだ。俺の顔を見せておかないとな。おーい、父ちゃんだぞー」
正影は眠っているドラゴンを起こそうとした。
「やめとけよ。産まれたときにお前の顔を見ていたから、大丈夫だろうよ」
「そうか?」
納得のいかなさそうな顔で、俺を見た。
「そんな顔するなよ」
「あ、名前、決めたのか」
名前?言われてみれば決めてない。
「お前が決めてくれよ。俺の名前だって付けてくれたじゃないか」
「俺が決めちゃっていいのか」
俺はうなずいた。
「金色だから、金ちゃんでどうかな?」
俺は言葉を失った。
「だめ?」
「だろ。もっとかっこいいのは無いのかよ?」
「そうだな。ゲール(gale)はどうだ。確か疾風って意味だ」
「よく知ってるんだな。俺もそっちのほうがいいと思う」
「やっぱ、金ちゃんはだめか」
「あったりめーよ」
俺たちは笑いあった。その時、クリスが起きた。
「おはよう」
目をぱちぱちさせている。
「正影さん元気になった?」
「お、おう」
「それはよかった。朝ごはん作るから、休んどいて」
「おおう」
正影は初対面の人と話すのは苦手なようだ。
「散歩に行くか」
正影が切り出してきた。
「大丈夫か。ドラゴンがまだいるんじゃないか」
「大丈夫だろ。ドラゴンは、今いる子どもの餌を取るのに夢中だと思うぜ」
「そうか?なあクリス、そうなのか」
「ドラゴンは基本的に半漁人を食べてるみたいだから、ここに来ることは滅多にないわ」
「そうか。じゃあ、行って来るよ」
「ちゃんと戻ってきてね」
「はーい」
俺たちは、ゲールと朝の草原を散歩することにした。
穴を登って外へ出ると、すがすがしい風に包まれた。
「いい天気だ」
ゲールは正影の背中で羽ばたく練習をしていた。
「どうだ、飛べそうかゲール」
「くぅー」
「お前はまだ無理だろ」
草原には所々に穴が開いていた。ネズミの巣があるようだ。こんなに清清しい場所は初めてだ。この世界は地球に比べて、美しい場所が多い。
草原は地平線の先まで広がっていた。遠くのほうでネズミたちが穴から顔を出した。ネズミたちは、突然二足歩行になった。
「おい、見たか正影」
「ああ」
ネズミは人間の姿になった。服を着ている。
「信じられん」
「義影、行ってみようぜ」
正影が走り出した。ゲールは翼を動かした。そして、正影の横を飛び出した。
「ゲール!」
「くぅー」
ゲールは嬉しそうだ。俺も後を追った。
向こうには、人間の姿をしたネズミたちが朝日に向かって、吠えていた。
「おはようございます」
俺は声を掛けた。ゲールは空高くまであがっていった。人間を警戒しているようだ。
人間たちは、こっちを見た。
「どうかしましたか」
半漁人の時とは違い、人間たちは親切だった。
「なぜあなたがたは、人間の姿をしているのですか」
「変なことを言うな。我々は人間だ」
「え!さっきネズミだったじゃないですか」
「ああ、我々は変身できるんだ。今は人間だが、食べた物の姿を借りることができる」
「じゃあ、ネズミを食べたんですか」
「ああ。ここで暮らすにはネズミの力は必要だ」
「元は人間だったってこと?」
「そうだ」
「どうして、変身できるようになったんだ」
正影が身を乗り出した。だが人間はその質問に答えなかった。
「おや。美しい動物だ」
「俺を食べようとしても無駄だぞ」
人間は残念そうに首をすくめた。正影は美しい獅子だ。人間がこの姿を借りたいのがわかる。いや、それ以上に、こいつらはネズミを食べたんだ。クリスは外は安全だと言っていた。いつもはネズミの姿だから、こいつらが仲間だと思っているんだ。早くクリスに知らせよう。
俺は正影に耳打ちした。
「わかった」
正影と俺は、人間に用事を思い出したから戻ると言った。
「だめだ。お前らはここで俺たちの餌食になってもらう。初めて見る動物だからな」
周りの人間たちも、不気味に笑いあった。
「こいつら人間じゃねえ」
俺たちは身を強張らせた。振り切って逃げても、居場所を突き止められかねない。ダグラスやクリスに迷惑をかけることはしたくない。
「おい、横に逃げるんだ」
小声で正影にささやいた。正影はうなずいた。俺たちは地面を大きく蹴って走り出した。
「待て!」
後ろから人間たちが追いかけてきた。だが、俺たちは走りが速かった。俺の身体は前のように弱くは無かった。昨日の料理が俺の力の源となっている。だが、正影はドラゴンに追いかけられた疲れと、空腹で思ったように走れなかった。それでも、人間に大きく差をつけた。
二足歩行なんかに負けるわけが無い!
しかし、実際は違った。人間たちは正影よりひとまわり小さいハイエナになって追いかけてきた。
「畜生!」
ハイエナは想像以上に速かった。ハイエナは俺たちのすぐ後ろに来た。そして正影のしっぽに飛び掛った。ハイエナは正影のしっぽを掴むと身体を引っ掻いた。
「うっ」
正影が苦しそうな顔をした。そのとき空からドラゴンが舞い降りてきた。ドラゴンは口から炎を出しハイエナを殺した。
「おいドラゴンだ!」
人間たちは鳥の姿に変身した。ドラゴンに目移りしたようだ。
「逃げろ!」
正影は叫んだ。ドラゴンのほうが断然大きかったが、鷹になった人間たちのほうが圧倒的に数が多かった。
俺たちははっきりわかった。大きくなっているが、あれはゲールだ。金色の鱗。凛々しい姿。迷いの無い眼差し。ドラゴンはこっちを見て、大きく吠えた。まるで『俺に任せろ!』と言っているみたいに。
俺たちは走った。ゲールを信じて。
ゲールは炎を吐いて鷹を焼いていった。翼を焼かれ、落下していく鷹はまるで火の雨だった。
雲の隙間から差し込んだ太陽は、見事勝利したゲールを照らしていた。
「ぐぇー」
空から降りてきたドラゴンは真っ先に俺たちのところへ来た。
「ありがとうゲール」
俺はゲールの脚を撫でた(脚までしか届かなかった)。
「それにしてもでかくなったもんだ」
正影は目を丸くした。
ゲールは何か言いたそうだったが、喋ることは出来ないようだ。向こうには煙が立ち上っていた。ゲールが殺した人間たちだ。
「行こう。何か手がかりがあるはずだ」
正影は歩き出した。ゲールと俺も後に続いた。
人間たちの死体がある場所には、無数の宝石が散らばっていた。その宝石は燃えるような赤だった。
「これはいったい」
「きっと人間がこれを使って変身していたんだ」
「けど、これをどうやって使うんだ?」
「わからない」
俺たちは考えた。ゲールだけは焼き鳥になった人間を美味しそうに食べていた。
「奴ら、この宝石を持っていたか?」
「いいや。そんな様子は無かった」
「だとしたら、これは燃やされた拍子に出てきたことになるな」
「出てきたって?」
「身体からだよ」
「マジで言ってんのか!」正影の眼といったら、冗談はよしてくれと言いたいのが、すぐわかった。
「マジだよ。そうとしか考えられないだろ?」
「確かに」
「俺が思うに、この宝石の力で奴らが変身していたんだと思う」
「本当か。なら俺たちもその石を食べようぜ」
正影がひとつ石を掴んだ。俺が止めようとしたときには、正影は石を呑み込んだところだった。
「・・・・・・大丈夫か」
正影は眼を閉じた。しかし、何か力が漲ってきたようでもあった。
「来た来た来た」
「何が来たんだ」
「とてつもないパワーを感じる。石を舌の上に乗せたとたん、それが溶け、身体に染み渡ったんだ」
「大丈夫なのか」
「大丈夫だぁ?そんなモンじゃねえ。力がどんどん湧き上がってくる。義影、お前も食べてみろ」
俺は恐る恐る地面に落ちていた宝石をつまんで、口へ放り込んだ。すると、石は溶け、身体が熱くなってきた。血管が浮き出て、筋肉が盛り上がるのがわかった。頭は冴え、闘争心が掻き立てられた。
「正影、俺強くなったみたいだ」
「だろ?ゲールにも食べさせようぜ」
俺たちはゲールにも石を食べるように勧めた。ゲールは鶏肉を食べるのに夢中だった。俺たちはゲールに石を食べさせるのはやめて、周りの石を拾い始めた。
「石を集めておけばきっと役に立つぞ」
石は死んでいった人間の数だけあった。
俺たちは石を拾い終わった。ふと見ると、ゲールは元の大きさになっていた。
「ゲール、元の大きさになってるじゃないか」
「くぅー」
不思議だった。産まれたばかりのゲールが突然大きくなったり、また元のサイズに戻ったりしているのには何か理由があるはずだ。
「ゲールが話せればいいんだけどな」
すると、驚いたことに
「何?」とゲールが喋ったのだった。俺たちは言葉を失った。
「・・・・・・」
「どうしたの」
ゲールはきょとんとしている。
「お前、喋れんの」
「当たり前じゃないか」
「まさか。何か仕込んでんじゃねぇの」
「何も仕込んでないよ」
ゲールは面倒臭そうな顔をした。
「俺、誰か分かる?」
俺は聞いてみた。
「義影でしょ」
「父ちゃんか」
「は?何言ってんの。仲間同士じゃないか」
「仲間」
俺は呟いた。誘拐犯の俺を仲間だと思っている。俺は何だか申し訳なくなってきた。
「親のこと覚えてるか」
俺は思い切って聞いてみた。
「覚えてるよ」
予想外の返答だった。
「おいらが卵の時のことだけど」
「卵の時の記憶があるのか」
「ある」
「じゃあ、俺たちがお前を盗んだことも知っているのか」
ゲールはうなずいた。
「でも、おいらは義影や正影と一緒にいるほうがいい。ドラゴンは一生仲間を持たない。言葉も話さない。おいらはそんなの嫌だ。だからふたりと知り合えて幸せだ」
俺は涙腺から熱いものがこみ上げてくるのが分かった。正影も目がしょぼついていた。
「泣かないでよ。おいらはもう普通のドラゴンとしていきたくないんだ。何か面白いことになる予感がするしね」
「ありがとうゲール」
俺はゲールを抱きしめた。正影はそんな俺たちに口を挟んだ。
「ところでさっきはどうして、でかくなっていたんだ」
そう言いえばそうだ。
「それはおいらにも分からない。気が付いたら身体が大きくなっていたんだ。炎を出せるのも不思議だったし」
「ドラゴンって元々炎を出せるんじゃないのか」
「それは無理だよ。身体に水素を取り込まなくちゃいけない」
「スイソ?」
俺は聞いたことがない言葉が出たので、質問した。正影も分かっていないみたいだ。
「つまり、水を飲めばいいってこと。身体が勝手に分解してくれるんだよ」
「俺たちも水を飲めば、炎を出せるのか?」
正影の質問は決まって自分に力がほしいときのようだ。
「そんなにおいらに質問しないでよ。おいら昨日産まれたばかりなんだよ」
言われてみればそうだった。その時、携帯が鳴りだした。俺がこっそり正影の鬣に入れておいたんだ。正影は自分の耳元で携帯が鳴り出したもんだから、物凄いリアクションをとった。
「うわああああ」
「悪ぃ悪ぃ」
俺は鬣から携帯を引っ張り出した。
「もしもし」
「おう、元気にしとったか」
「何が元気にしとったかだよ。こっちは死にそうな目にあったんだぞ」
「じゃが、ドラゴンに助けてもらえたじゃろ。ちびドラゴンを大きくしたのはこのわしじゃ」
「そうだったんですか」
「そうじゃ。さっきは悪かったな。電話を切ってしもうて」
「いいんですけど、あなたどこにいるんですか」
「わしか。ある島にいる。そこまできてくれ。携帯に地図を送るから。じゃあ」
「あ・・・・・・」
仙人は電話を切ってしまった。まもなく、メールが届いた。メールは意味不明な地図だった。
5
地図はまるで世界地図だった。
「何だよこれ」
「どう見ても地球じゃないな」
「恐ろしく広いな。街の案内マップには見えない」
「→マークがついている所が、仙人の家か」
「この×マークは何だ」
きっと、やばい生き物がいるんだろう。言わなくても分かった。正影は携帯をいじっていた。
「お、拡大できるぞ」
拡大するとそこは、俺たちがいるところのようだ。
「俺たちがここで、湖があっちだから、ダグラスさんの家が向こうか」
「どうする?戻るのか」
正影は面倒臭そうだ。
「道や方角も聞かなきゃならないしな」
「わかった」
俺たちは引き返すことにした。道はよく分からなかったが、携帯の地図を見て、ダグラスさんの家を目指した。
戻ってみると、みんなはそわそわした様子で、俺たちを探していた。
「どこに行っていたの。心配したじゃない」
「ははは。めんごめんご」
「もう朝ご飯できてるわ」
俺たちは朝飯を食べた。朝飯は昨日と違い、質素なものだった。
「いただきます」
俺は飯を食べた。俺の眼に鶏肉が焼きついた。
・・・・・・鶏肉。これを食べると鶏になるのか。
恐る恐る口へ運んだ。特に異常はない。
「何だ。何もおきないじゃないか」
「鶏になりたいと願ったら、そうなるかもしれない」
俺は鶏になりたいと思った。すると、皮膚に鳥肌が立ってきた。そこから、毛が羽毛に変わった。顔も嘴が出てきて、鶏冠が立った。足も鳥らしいものになった。
「見てくれ」
正影は興奮していた。
「すっげー!おい、どうやったんだ」
「鶏をイメージしたんだ」
正影は鶏を頬張った。そして、何かぶつぶつと唱えだしたかと思うと、鶏の姿になった。
「俺たち鶏だな!」
すると、外からダグラスが入ってきた。
「うわ!鶏だ。おい、トム、パーシー鶏だ。捕まえるのを手伝ってくれ!」
トムとパーシーがすっ飛んで来た。
「待ってください、俺たちは・・・・・・」
「問答無用!」
「うわっ」
俺たちは、急いでもとの姿に戻った。
「わ!正影君に義景君」
「何で鶏だったんだ」
俺たちは今までの成り行きを説明した。
「なるほど。それは大変だったな。石は今はどうしているんだい」
「ここです」
俺は正影の鬣から石を引っ張り出した。
「また入れてたのか。もうやめてくれよ」
正影は呆れ顔だ。
「この石です」
「なるほど、見るからに魔力がありそうだな」
「分かるんですか」
「うん。昔私は術師だった」
突然の告白に俺たちは驚いた。周りにいたトムやパーシーも初めて聞く話のようだ。
「私がまだ若い頃だ。ここから随分遠い村で、そこの長老に伝授してもらった。私が使える術は三つある。ひとつは体の寒暖を自由に操ることが出来る術だ。やってみよう」
ダグラスは俺の手首を掴んだ。眼を閉じて意識を集中している。握られた俺の手首が段々熱くなってきた。そして、火傷するかと思ったら、ダグラスが手を離した。
「熱くないんですか」
「なんともない。冷たくすることも出来るが、やってみるか」
「いえ、結構です」
ダグラスは残念そうな顔をした。
「さて、次の術は相手の心を読む術だ。これには私も大変な修業をしたよ」
何か思い浮かべた様子だった。きっと修業のことだろう。
「さあ、誰が心を読んで欲しい?」
誰も手を挙げない。当たり前だ。心を読まれていい気分なわけがない。
「仕方ない」
ダグラスは俺のほうを見ると、手を額にかざし眼を閉じた。
「読める。君は私の術を疑っているようだ。本当に心が読めるのかと。他に、これからの旅に不安を感じている、といったところかな」
ダグラスは俺の心の声を確かに聞いたようだった。
「すごい。大当たりです。どうか是非俺に伝授してください!」
「まあ待ちなさい。まだあとひとつ術が残っている」
「教えてください」
「最後の術は、自分の魂を自在に操るというものだ」
「具体的には」
「身体から魂を抜け出すことができる」
「魂を抜いて死なないんですか」
「下手をしたら死ぬ。だから、ひとつめの術で体温を十分に下げておく。すると、魂が戻って来た時、身体がまた動く」
「でも、魂を自由に出し入れすることで何かメリットがあるんですか」
「いい質問だ。魂を抜くと、勿論、物理的なものに左右されることがない。すなわち、どこへでも自在に行く事ができる。勿論相手に存在を悟られることもない」
「素晴らしい!」
正影は興味津々だ。
「君たち四人にも後で教えてあげよう」
「ありがとうございます!」
「ただし、修業はきつい。それが耐えられるかな?」
「はい!頑張ります」
「いいぞ、その調子だ」
ダグラスは急に表情を変えた。
「正影、義景、君たちは私の息子同然だ。君たちが救世主だとしても、修行をやる以上、私は君たちの先生だ。そのことを忘れるな。トム、パーシーも同じだ」
「はい!」
俺たちは心を引き締めた。
それにしても、ダグラスにこんな術が使えるなら、自分が世界を救う英雄になれるとは思わないのだろうか。
「悪いが思わない」
「え、何がですか」
「私は世界を救うことができない。さっきも言ったが、私が術師だったのは昔の話。今は衰え、たいした力はない。だが、君たちはその素質がある。ドラゴンの卵を持ってきたのもその現われではないのかな?」
俺は考えた。力が衰えてきたからといって、こんなに素晴らしい人をほっておくなんてもったいない。
「なら、俺たちと共に旅をしましょう」
「いいや。私はこの家の主としてここにいる。どちらにせよ、私は足手まといだ。君たちのように速く走ることも、正影君のように腕力があるわけでもない」
「でも俺たちには先生が必要です!」
ダグラスが涙ぐんだ。しかし、きっぱりとこう言った。
「君たちの先生はこの世界全てだ。大地に耳を傾けると、答えはおのずと出てくるだろう。しかし、どうしても私の助けが必要になった時、魂だけでもここに戻ってきてくれ。何か方法を使って私も君たちに合流する」
「わかりました」
本当は、魂だけ戻ってきても、ダグラスにどうやって存在を知らせたらいいのか、俺には分からなかった。
「さあ、午前の練習を始めようじゃないか!」
ダグラスは外へ出た。俺たちも後に続き、緑の草原に出た。
6
「さあ!まずは体温調節の練習だ!」
「あら、父さんどうしたの?」
外で洗濯をしていたカレンとクリスが尋ねた。
「今から、彼らに術を伝授する」
「術、何のこと?」
「クリス、父さんは昔、術師だったのよ」
「え!」
クリスを尻目に俺たちは練習を始めた。
「さあ、まずは心を落ち着かせ、大地に耳を傾けろ」
ダグラスはどっかと腰を下ろし、座禅のポーズをとった。俺たちも真似をした。
「さあ、何が聞こえるかな」
静まり返った草原の中にも、音はあった。草の揺れる音。鳥たちの鳴き声。そして、遠くから聞こえるドラゴンの鳴き声。
ゲールは、餌を探しに空を旋回しているようだった。だが、食べれそうなものはここにはないはずだ。
「さあ、眼を開けてごらん」
ダグラスは小さな声で言った。眼を開けると、何も変わらないのどかな草原だった。
「どうだ、体温が上がったような気がするだろ?」
確かにそうだ。
「言われてみればそうです」
「今日から君たちは変温動物だ!」
ダグラスは立ち上がり、俺たちの前に出た。
「己の体温を調節するには、周りの温度に溶け込むことからだ。さあ、今日から湖の畔で修行だ。ついて来い!あ、カレン、クリスしばらくは帰れないと思うからよろしく」
ダグラスは二人の返事も聞かずに歩き出した。
一向は、ドラゴンがいる山の近くまで来た。
「ここで何をするんです?」
「まだここじゃない。私たちは湖まで行く。そこで精神統一をする」
「精神統一、ですか」
「ああ、精神を鍛えてこそ立派な術師だ」
「そんなもんですか」
「どうした義影、腰が引けてるぞ。そんなことでは、まともに剣も使えない」
「俺たちにあるのは前足ですよ?どうやって剣を使うんです?」
「手がなければ、作るまでだ。いいか、君たちがこの三つの術を完璧に使いこなせるようになったとき、私は君たちの贈り物を授けよう。なんだと思う」
「青銅の剣」「ハンティングナイフ」「魔法の道具」「秘伝の書」
「話の内容がわかっているか?私が君たちに授けるものは、新しい身体だ」
「新しい身体?」
「そうだ」
「でもどうやって?」
「簡単なことだ。自分の想像力を最大限まで働かせるんだ。そして、欲しい身体を想像する。すると、君たちは変身している」
俺たちは笑った。まさか、冗談だろ?
「冗談だと思うかね?ならば、私が変身してみよう」
ダグラスは目を閉じ、胸に手を当て大きく深呼吸した。すると、ダグラスの身体が炎を発し、彼はたちまち灰になってしまった。
「父さん!」
俺たちは、灰になってしまったダグラスに駆け寄ろうとした、次の瞬間――
灰の中から、ひとりの人間が立ち上がった。細身の長身に、涼しげな瞳。ダグラスは超ハンサムボーイになったのだ。歳は二十代前半といったところか。しかし、俺が一番驚いたのは、彼が侍のなりをしていたからだ。鎧は着ていないが、動きやすそうな着物、腰には刀が二刀あった。千年前の戦を思い出す。あの時、勝利を祈願した侍たちが俺たちの寺へも来た。
「どうだ、驚いたか」
「ダグラスさん?」
「先生と呼びなさい」
「はい先生」
「どうだ、なりは変わってしまったがこれで手が使える」
「先生その術、俺たちにも教えてください!」
「正影、これは術ではない。術とは修行をして獲得するものだが、これはひとりひとりに秘められた力だ。誰でもこの力は持っている。私がするのは、その力を最大限に引き出すことだ。わかるかね」
「はい」
「さあ、修行が終わったときの自分の姿を想像しておくがいい。まあ、術を使える資質がある者は、この世界でほんの一握りだ。君たちにその者がいると信じているよ」
先生は高らかに笑い、山を歩き始めた。俺たちは顔を見合わせた。この中にその資質があるものがいるのか。果たしてそれは修行が終わるまではわからない。また、この修行がいつ実を結ぶかもわからない。俺たちの使命のこともある。時間がかかりそうだ。
「・・・・・・俺の運命はどうなるんだ」
俺の呟きは聞こえなかったみたいで、他の三人は歩き出していた。
山を越えるとき、俺はドラゴンに襲われると思っていて心配だった。だが、そんな心配は意味なく、先生は秘密のトンネルを使うことにした。
「先生、こんなトンネルがあったんだね」
「うん。ここは昔戦争のときに作ったトンネルなんだ」
「百年前の戦争のこと?」
「いいや、ドラゴンがここに来たときのことだ」
「それって、物凄く昔じゃない?」
侍姿のダグラスは、微笑んだ。人間なのに俺でもわかるほどイケメンだ。
「さあ、このトンネルを越えると草原が広がっている」
「山を越えるなんてはじめてだぜ」
パーシーは不気味なトンネルの前で呟いた。
「さあ行くぞ」
ダグラスを先頭にひたすら長いトンネルを俺たちは歩いた。
「真っ暗で何も見えやしない」
「こういう時は、秘密兵器!」
俺は正影の鬣から携帯を引っ張り出した。
「痛っ、毛が抜けちまったじゃねえか」
「悪い」
携帯のライト機能のおかげで、辺りが一気に明るくなった。
「これは驚いた。君たちは私が知らない道具を持っているんだな」
「これは携帯電話といって、離れている相手と会話ができるんです。また、メールや写真を撮ったり――」
「凄い物のようだな」
「さあ、行きましょう」
ライトのおかげで、歩くスピードが増した。トンネルというより洞窟だ。壁は湿っていて、天井からは木の根が降りてきている。
「正影」
「なんだ」
「なんか前よりでかくなってないか」
「気づいたか。そうなんだ。石像のころは身体が窮屈だったんだ。でも、それが開放されたわけだ」
「俺はどうだ、でかくなってるか」
「いいや、前と変わらない」
「そうか」
まあ、仕方ない。
「なあ、義」
「義って呼んでもいいか」
「別に構わねえが」
「よし、なら大丈夫だ。義影っていうのは、結構面倒だったんだ」
「たった四文字だろ」
「いや、面倒っていうか、もっと親しみを込めた言い方だよ」
「ふうん」
俺は正影の言っていることがいまいちわからなかった。
「じゃあ、俺も正って呼んだらいいのか」
「おお、そりゃいいな」
正影はノリノリだった。名前の呼び方でこうもテンションが変わるとは、簡単な奴だ。
その後俺たちは、しばらく歩いた。たわいもない会話をした。先生の思い出とか、京都であった大戦などだ。
「さあ、光が見えた。ここからは湖だ」
「わーお、初湖到来の時が来たのだな!この燃え滾るような血が、私の体と心を熱くしている」
トムとパーシーは、大いにはしゃぎまくっていた。いつも冷静なトム、無口なパーシ―がここまでハイになるのも無理はない、トンネルの向こうには、青々とした湖と、美しい草原が広がっていたのだから。
トンネルを抜けると、前俺たちが立っていた草原そのものだった。
「懐かしいな、正影」すると、正影が俺を横目で睨んだ。
「あ、正」
正影は鋭い牙をこちらに剥き出してきた。これは正影なりの満面の笑みらしい。
トムとパーシーは、湖のほうへ行ったり草原に寝そべったり、思い思いの事をしていた。
「集合!」
先生がどすの利いた声で集合をかけた。ネズミの姿ではないから迫力がある。
俺たちは先生のもとへ駆け寄った。
「今からここでキャンプする。諸君、必要な木材及び食料を調達してもらう。ここでテントの位置を決める。以上、役割分担等は相談しろ」
「ちょっと!」
俺はダグラスを呼び止めた。上空にいるドラゴンのことが気になったからだ。しかしダグラスはどこかへ歩いて行ってしまった。
残された俺たちは顔を見合わせた。
「俺は木材を調達する」
正影はきっぱりと言い放った。
「自分も」パーシーが手を挙げた。
「義とトムは食料を調達してくれ」
「わかった」
俺たちは承知した。いつの間にか正影がリーダー格になっていた。正影は身体も大きく、動きも俊敏だ。木材を運ぶにはもってこいと言えるだろう。
俺たちふたりは、湖で魚を取ることに決めた。上空にいるドラゴンが旋回しているのを気にしながら、湖へ近づいた。
「魚を獲る方法もたくさんある。釣り、網、銛どれを使う」
トムは魚を獲るのに詳しいようだ。だが、ダグラス家では湖に行く機会はなかったはず。
「トム、なんで魚を獲るのに詳しいんだ。湖に来るのは初めてだろ」
「簡単なことさ、雨期になったら草原に水溜りができる。もっと雨が降ると池になる」
俺は納得しそうになったが、それが変だということに気がついた。
「雨水でできた池に魚が泳ぐのか」
トムは俺が変なことを言っているような顔をした。
「何言ってるんだ?雨水でできた池には魚が泳がないっていうのか?」
「え、だってそうだろ」
「変なこと言うなよ。じゃあ、数多ある池はどこも魚がいないんだな」
なんだかトムの言ってることのほうが正しい気がしてきた。俺も日本で池を見たことは一度もなかった。俺は曖昧にうなずいて話を戻した。
「早く魚を獲ろう。おすすめの獲り方は?」
「やっぱり、追い込み漁だな」
トムは細長い草を摘んで編み始めた。
「義影、君も手伝ってくれ」
俺は言われた通り草を編み始めた。
三時間ほど編んだだろうか。向こうでは正影たちが小屋の骨組みを立てていた。相変わらずドラゴンは旋回したままだし、先生は呑気に小屋の近くで寝息を立てていた。
突然トムが立ち上がった。「完成だ」俺たちははふたりで作った網を広げた。横幅十メートル、縦三十センチくらいの草網だ。縦が三十センチなのは俺たちの伸長を考慮したうえでだ。トムはこの網をどうやって使うかの説明を、俺に話して聞かせた。それによると、浅瀬でできるだけ陸から離れて網を広げ、弧を描くようにふたりで岸へ近づいて行くというものだった。
「さあ、始めよう。一発大漁のチャンスだ!」俺たちは湖に入っていった。
7
「わはははははは」
俺たちは大爆笑していた。食べきれないほどの魚を小一時間ほどで手に入れたからだ。半漁人たちは、なにやらこちらを見つめている。まさか半漁人だから魚は食べないだろう。万が一食べるとしても、約五百匹の魚の一匹でもくれてやるほど我々は御人好しではない。
「トム、これだけあればしばらくは漁をしなくても大丈夫だな」
「まったくだ!さあ、簡易ハウスが出来上がる前に魚を料理しようぜ」
「おう。さあ、何にする?」
「燻製にしよう。燻製は長持ちするからな」
「了解!」
さっそく俺たちは、火を起こすことにした。木と木の枝を擦り合わせ、必死こいて俺たちは火を起こそうとした。だが、火が起きるどころか、煙すら起きない。
「なんでだ!なんでなんだよ?」
俺はヒステリアスに叫んだ。案の定、木が湿っている。というトムの意見で俺はがっくりとうなだれた。
「・・・・・・乾いた木はないのか」
「パーシーたちの所から貰ってこよう」
「それがいい」
俺たちが行ってみると、簡易ハウスはほぼ完成していた。
「おう義とトム、家はもう少しだ。後は屋根と床だけだ」
「なあ、木材は余ってないか?魚をたくさん摂ったんだ。で、火を起こす」
「木材なら向こうに余ってるぜ」
行ってみると、そこには木材が遥か高くそそり立っていた。
「・・・・・・こんなにあるのか」
「まあいいや。早く木材を貰って魚のところへ戻ろう」
魚を湖の近くに置いて来てしまったのだ。
俺たちは湖の畔まで戻った。すると、そこには信じられない光景があった。
「・・・・・・ど、どうなってやがる」
なんと、半漁人たちが、俺たちが苦労して獲った愛しい魚たちを貪り食っていやがったのだ。
「あう?」
魚を頬張った半漁人たちが一斉にこちらを向いた。
「き、貴様らあああぁぁぁぁぁぁっ!」
俺たちは半漁人たちを追い払った。半漁人たちはあっという間に湖へ逃げ帰ってしまった。
「ばかやろぉぉぉ!」
真昼間の湖畔で俺たちは吠えた。奴らが去り、後に残ったのは食い散らかされた魚の骨だけだった。俺は湖にガソリンを撒いて一気に火を点けたい衝動に駆られた。
その後の俺たちの行動はよく覚えていないが、凄まじいものだった。湖に巨大な石を放り込みながら、半漁人に対する悲痛な恨みを念仏のように大声で唄った。
また漁をする気にもなれなかったので、俺たちはとぼとぼと家に帰った。案の定、正影、パーシー、先生までもが完成した家で、期待に胸を躍らせて待っていた。俺たちはさっきの有様を三人に話した。
「あの下種ども生かしておけん。人様のものを無断で奪うとは、この正影様が許しちゃいねぇ!」
正影はぐっと拳に力を込めた。だが、日本で魚屋を俺に襲撃させるように仕向けたのは、何を隠そう正影だ。
「半漁人という分際で魚を食うとは何事だ?あの思考回路残念野郎どもを皆殺しにしてやる」
その後、正影は狂ったように笑った。ダグラスとパーシーもどうやって奴らを皆殺しにするか考えているようだった。
「よし」
先生は思い立ったように立ち上がった。
「私が半漁人たちに鉄拳制裁を下そう」
「何かいい方法があるんですね」
「うん。私が変身して奴らを叩きのめす。具体的には巨大化して、術の力で湖を凍らせる。すると、半漁人たちは窒息するという寸法だ」
拍手喝采。
「湖を凍らせるのは、体温調整の応用だ」
「でも、湖が凍るほど体温を下げて死なないの」
「敬語を使いなさい――大丈夫だ。私は寒さには慣れている」
「わかりました」
俺たちは承知した。
先生はその場で変身を始めた。侍の姿から炎をまとった。そして灰になった。
「・・・・・・」
俺たちは息を呑んだ。が、しばらくの間灰には変化がなかった。
「もしかして、だめだったのか」
俺が呟いた瞬間、灰の中から青い龍が空へ立ち上った。大きさは半端なくでかい。ドラゴンと比にならないくらいの大きさだ。
「先生?」
だがその生き物は、俺たちには目もくれず、まっすぐに湖の中心へと向かっていった。
「・・・・・・青龍だ」
正影が呟いた。『青龍』それなら知っている。四神のひとつだ。先生は青龍に変身したんだ。だが、なぜ先生が侍や青龍を知っているんだ。侍も青龍も地球のものだ。先生は地球に行ったことがあるのか。
「青龍。憧れるなぁ」
「どうした、正影」
「いや、青龍を倒せるくらい強くなりたいと思ってさ」
「確かに。俺たちも変身できるようになりたいな」
「変身できるじゃねえか。石を食べただろう」
「まあな。でも、あれは食べたものに変身できるんだろ?俺たちはたいしたものを食べちゃいないし、これからも早々食べないだろう」
「そうか?」
正影は遠くを見つめた。そこには湖に垂直に潜っていく青龍の姿があった。
先生はきっとやってくれる。食べ物の恨みは恐ろしいとは本当だった。湖はだんだん表面に氷が張ってきた。氷はどんどん広がり、湖全体を覆いつくした。
「大丈夫か」
氷が厚くなった頃、湖の中心で何かが削れるような音がした。すると、氷に穴が開き、青龍が飛び出してきた。青龍は氷の上で横たわった。
「大変だ!」
俺たちは氷の上を走り出した。
駆け寄ると、龍は息をしていなかった。
「父さん!」
トムとパーシーは涙で顔がぐちゃぐちゃだった。横になった龍を見て、俺はふと思った。先生の魂は抜け出たんじゃないのか。
「父さん!」
「待て、パーシー。彼はきっと生きている。きっと魂が抜け出したんだ」
俺はパーシーを制した。パーシーはじっと龍の顔を見た。
「・・・・・・そうかもしれない」
か細い声でパーシーが呟いた。
「きっとそうだ。身体が冷え切ったから、時間を置いて戻ってくる」
「そうだね」
俺たちは待った。先生はきっと戻ってくる。彼は半漁人を殺すために自分の命を投げ出すような愚か者ではないはずだ。
辺りが暗くなり始めた頃、龍の身体が燃え出した。
「先生が戻った」
龍の身体が灰になり、中から侍の姿のダグラスが立ち上がった。
「今戻った」
「先生」
「大きな穴が開いてしまった。半漁人たちはきっとここから出るだろう。そこを生け捕りにしよう」
「わかりました」
俺たちは半漁人たちが出てくるのを今か今かと待った。ロープを持った正影はうずうずしていた。
「まだか」
その時、半漁人たちが一斉に飛び出してきた。
「ぷはぁー」
俺たちは半漁人たちに襲い掛かった。半漁人たちはあっけなく俺たちに捕まった。
「これで全員か」
「のようですな。僕たちに何をするつもりです」
「どうしようか。俺たちは冷酷なハンターだ。貴様らには死んでもらう!」
正影がどすの利いた声で言った。半漁人たちは眼をぱちぱちさせ、震えていた。
「ゲールがいたら真っ先に餌にするところだが、あいにくゲールはいない」
すると、空からゲールらしきドラゴンが飛んできた。
「えっ」
やはりそれはゲールだった。ゲールは俺たちの元に舞い降りた。
「正影、義影、美味そうな匂いがしたから飛んできたよ」
「お前の嗅覚は敏感だなあ」
ゲールはへへん、と笑うと半漁人たちに眼を移した。半漁人たちは縛られたまま、足をじたばた動かしている。
「半漁人か。みんなも食べる?」
ゲールは半漁人一人ひとりを見た。品定めをしているようだ。
「いいや。俺たちは鬱憤を晴らしたかっただけだ。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
ガルルルル・・・・・・正影が喉を鳴らした。
「俺も半漁人の肉を食べたい。朝から昼飯がなかったから腹ペコだ。それに、ドラゴンが大好きな半漁人を食べてみたい」
どうぞご勝手に。俺たちは肩をすくめた。
空ではドラゴンが数頭旋回していた。
「先生、ドラゴンがいます。危険です」
「大丈夫。ドラゴンは近づけんよ。私はドラゴンハンター。奴らはそのことを知っている。だから容易に近づくことができないのさ」
「ドラゴンハンターとは?」
「その名のとおり、ドラゴンを捕まえるのさ。ドラゴンの肉を食べたものは、寿命が百年延びると言われているんだ」
「食べたことはありますか」
「何度か食べた。言葉では表すことのできない美味しさだよ」
先生は無意識のうちにゲールのほうを向いた。ゲールは顔を強張らせて先生を見た。
「ゲール、君は心配するな。ドラゴンハンターだったのはとっくの昔のこと。それに君は私の息子同然だ」
「びっくりした。でも、おいらは他のドラゴンが食べられても何にも思わない。彼らは愛や友情を知らない、醒めた連中だからね」
「先生、あなたは何者なんです?」
俺は先生が何者か疑問に思った。すると先生は微笑して、こんな話を始めた。
8
私が生まれたのは千年以上昔のこと。私はドラゴンハンターの部族の子供だった。部族には様々な生き物がいた。彼らについて語るのはやめておこう。話が長くなってしまう。
私は父親、兄たちと共に、ドラゴンの狩り方を学んだ。捕獲したドラゴンは、町へ持っていって売るか、自らが食すのだ。ドラゴンは気高き生き物だから、馴れたりはしない。父はこの部族の中でも有名なハンターだった。人生で五頭のドラゴンをしとめた。だが、彼はドラゴンと戦っているときに命を落とした。私が同行していた者に聞いても、彼らは何も教えてはくれなかった。
兄たちはみんな疫病にかかり死んでしまった。父が亡くなり、私は途方に暮れていた。
私はひとりになったのだ。そこへ、ひとりの旅人が声を掛けてくれた。彼の名を竜荒原と言う。彼は人間だった。幼い私は藁にすがる思いで、彼と旅に出ることを決意した。彼は優しかったが、決して生ぬるい人間ではなかった。私は彼と共に修行をした。ドラゴンを狩る修行だ。彼と私は千年に一度の、ドラゴンの大集結を見た。なぜ集結するのかはわからない。だが、それは凄まじい光景だった。今も夢に見ることがある。美しく恐ろしい光景だ。その時私は、始めて狩りをした。
竜荒原とドラゴンを一頭しとめた。ドラゴンが休憩のために降りてくるところを狙った。
普通は弓矢でしとめるのだが、我々は剣を使った。弓に比べ、剣は致命傷を与えられる。木の陰に隠れ、じりじりと近づき、ドラゴンの腹に剣を突き刺した。ドラゴンは悲鳴を上げ、息絶えた。若いドラゴンだった。私たちはドラゴンの肉を食べた。そんなことを何度か繰り返した。
ある時、森の奥に動くものを感じた私は、荒原と協力して挟み撃ちをすることにした。私はその生き物を追いかけた。追いかけていたら、その生き物は急に止まり、その牙を私に剥き出した。その生き物は虎だった。虎は私に飛び掛った。私は虎に飲み込まれた。痛みはなかった。
気がつくと、私は船の上にいた。船の甲板に横たわっていたんだ。周りには頭に布を巻いた色黒い屈強な男たち。まず私は自分の手を見た。ネズミの手だったはずだが、人間の手をしていた。私は生まれ変わったのだと思った。虎に食べられて、気がついたら海の上。私は自分に言い聞かせた。これは生まれ変わりだ、と。だが、生まれ変わったなら始めは赤ん坊だ。しかしなぜか私は大人の男だった。
周りにいた男たちが寝そべっている俺に声を掛けてきた。
「よお、ダグラス。そんなところに寝てないで朴を張るのを手伝えや」
私はダグラスと呼ばれた。前は違う名前だった。だが、思い出せない。私はダグラスとして生きることにした。
さりげなく今までの自分について聞いたが、周りの連中は、何でそんなことを聞くんだ、と言った。私は余り追求しなかった。いや、できなかった。我々は世間一般に『海賊』と呼ばれる集団だった。すなわち、他の船を攻撃したり、陸に下りて、王朝や宮廷などから財宝を頂戴するのだ。私は暴れた。世界中で。ギリシャで大金をものにし、スペインでは金をものに、天竺では仏像を金に換えた。日本にも行ったことがある。その時、日本は大戦の真っ最中だった。我々は貴族院に乗り込んだ。金を手に入れ、しばらくそこで遊んだ。
気がつくと私は歳をとっていた。そして、寿命が来て死んだ。
目覚めると、私の身体は森の中だった。身体はネズミの姿、忘れかけていた姿だ。長い夢を見た気分だった。虎に食べられ、海賊になった。身体を起こした。身体は木の葉が何層にも積もっていた。毛は濡れている。
「荒原、どこにいるんだ」
だが、誰も返事はしなかった。木の葉が風で揺れている音が、私を孤独にさせた。私はふと自分が眠っていた地面を振り返った。そこには、土の間から白骨化した人間に指の骨があった。直感的にわかった。この骨は竜荒原のだと。私が眠っていたときに、竜荒原は私が死んだものだと思い、自害した。そして、月日は流れた。骨は風に吹かれ塵となって消えた。その時、深い悲しみが押し寄せてきた。竜荒原は自分のために死んだ。私が死んだと思ったから。私も死のう、竜荒原。私は腰にあった剣を抜こうとした。だが、錆付いていて抜けなかった。私は新しい剣を求め山を降りた。
そこにあったのは小さな村だった。自分の故郷に似た落ち着いた村だった。私は村の者に武器商人はいるかと尋ねた。その人は何も言わず、道の突き当たりの小屋を指さした。私は礼も言わず、武器商人の小屋まで歩いた。
中へ入ると、ひとりの老人が腰を下ろしていた。彼は人間だった。
「武器を買いに来たのかね」
老人は私の眼をじっと見た。
「君は飢えたオオカミのような眼をしている」
「なんだと。いいから武器を売ってくれ」
「自殺しようとしている者には、武器を売らない主義なんでね」
私はたじろいだ。なぜこの男は私が自殺しようとしていることを知っているんだ。
「自殺などしない!」
「嘘をついてはいかん。わしは相手の心を読むことができる。君の心は読みやすい。自殺などやめなさい。心に蟠りがあるなら、話を聞こう」
正直迷った。この男は信頼できるのだろうか。男が澄んだ瞳で私を見つめてきた。
「わかった。全部話す」
私は男にすべてを話した。本当にすべてだ。彼はたまにうなずきながら、静かに聞いていた。
「君は大変な苦労をしてきたのだね。きっと、海賊として生きていたのは夢じゃない。どこか違う世界に行っていたんだ。世界はひとつじゃない。私はそう思う」
「あなたに話したおかげで、心が楽になったような気がしました。私はこの先行くあてもありません。どうかここで働かせてもらえないでしょうか」
「構わんよ」
彼は立ちあがった。
「さて、まずは剣を磨いてもらおう」
私が剣置場に向かおうと歩き出したとき、彼は私を引き留めた。
「そうだ。まだ君の名前を聞いていなかった」
「私はダグラスです」
「そうか。わしはこの村の長老、アウロス・ギル・プリジンべ。よろしく頼む」
「はい」
それが彼との出会いだった。それから私は過酷な修行をすることになる。きっかけは、こんなことからだった。
働き始めて二か月がたったころ、店に武装集団が来た。他の地方から来た男たちだった。店には、歴史的価値が高い武器が数多くあった。奴らはそれを狙いに来たのだ。
「ジジイにネズミ、命が惜しけりゃ大人しく武器をよこしな!」
大抵このような決まり文句から始まるものである。アウロスはさっと私の前に出た。
「おぬしら、いい度胸をしておるな。じゃが、命が惜しけりゃさっさと立ち去れ。さもないと、魂抜くぞ」
アウロスの気迫に、一瞬武装集団は怯んだ。しかし、
「魂抜くだ?調子こいたこと抜かすと、首が飛ぶぞ、あああ?」
アウロスは微かにくちもとが歪んだ。
「ならば、見せてやろう」
彼はボスらしい男の前に手をかざした。すると男は、急に意識を失い倒れたのだ。
「兄貴!大丈夫ですかぁ!」
「貴様、何をした!」
「わしは忠告したぞ。貴様らもこのようになりたくなければ立ち去れ!」
「畜生!みんな、引き上げだ」
後の男たちは、ボスを引きずり走り去ってしまった。そして、私とアウロスが取り残された。
「アウロス、何をしたのです」
「術を使ったのじゃ。彼の魂は浮遊しておる。きっと、今もこの近くにおるぞ」
「殺したのですか」
「ああ。戻すこともできるが、面倒になるだけじゃ。ここいらで終止符を打つべきなんじゃ」
「・・・・・・そんな」
「わしは悪人に妥協しない。彼は今までに罪のない人をたくさん殺している。だから、わしが鉄拳制裁をくらわせたわけじゃ」
「では、魂はどこへ行くんですか」
「浮遊している魂を、天使か悪魔が捕まえに来るんじゃ。天使は善人しか見えず、悪魔は悪人しか見えない。だから、善人は天使に、悪人は悪魔に連れて行かれるんじゃ。きっとあの男は悪魔に連れて行かれるじゃろう」
「どこへ連れて行かれるのですか」
「地獄じゃ。彼は永遠に地獄で苦しむことになる。生まれ変わりのチャンスが来るまではな」
「生まれ変わりですか」
「そうじゃ。天国へ行ったもんも、地獄へ行ったもんも、いつかは生まれ変わるのじゃ。そうしないと、あの世とこの世のバランスが崩れるからな」
アウロスは遠くを見た。
「ほれ、悪魔が奴の魂を捕まえた」
皺だらけで血管が浮き出た指で外を指さした。だが、私には何も見えなかった。
「悪魔が見えるんですか」
「生まれ持った障害じゃよ。悪魔が魂を捕まえる瞬間や、天使が魂を連れて行くのが見えてしまうんじゃ。それに、生きたもんが地獄へ行くのか、天国へ行くのかがだいたいわかるんじゃ」
「それは障害でしょうか。私は、神様からのプレゼントだと思います」
「そんなありがたいもんじゃないわい」
アウロスはそう言うと、武器を磨きに行ってしまった。私もそれに続いた。
武器を磨いていたアウロスが急に立ち上がった。
「のうダグラス、君は私の術を見ても、恐ろしがったり羨ましがらないのじゃな」
「術は素質があるものが使うものだと思うからです」
「ほほう。君の心はできあがっている。まあ、普通の生き物より人生経験が長いからな」
アウロスはひとりでうなずいていた。
「よし、君はきっと術を使う素質があるぞ。私は術を他人に教えたことはないが、君は術を使いこなせるはずじゃ」
「本当ですか」
「ああ、もしかして君はドラゴンハンターの部族の生まれだったな」
「はい」
「実は私もドラゴンハンターだったんだ」
「本当ですか」
「嘘をついても仕方なかろう。今、ドラゴンは限られた土地にしかいない。人間が多い土地にはドラゴンが住めんようになっているんじゃ」
「それは、人間がドラゴンを捕獲しすぎたということですか」
「そのとおり。さあ、今から術を伝授してやろう。嫌がっても逃げ出してもだめじゃぞ。わしはもう決めたんじゃからの」
「逃げたりしませんよ」
「ようし、ならばついて来い。なあに店はほっといても大丈夫じゃ」
「そうですか」
「ああ、さあ来なさい。わしの七つの術を伝授してやろう」
七つの術とはこのようなものだった。
【体温を調節する術】
【読心術】
【自分及び相手の魂を操る術】
【炎を操る術】
【水を操る術】
【空気を操る術】
【地面(土)を操る術】
それから長い月日の中で【体温を調節する術】【読心術】【自分及び相手の魂を操る術】を使えるようになった。ただし、【自分及び相手の魂を操る術】に関しては、相手の魂を操る段階までは伝授してもらうことができなかった。なぜなら、アウロスが突然姿を消したからだ。私とアウロスは同じ部屋で寝起きを共にしていたのだが、朝目覚めると、置手紙を残してアウロスが消えていた。
わしはこれから長い旅をすることにした。突然ではあるが、どうぞ許してくれ。この旅は危険を伴う。よって、君はまだ一緒に旅をするには危険だと判断した。わしが旅をすると知れば、君はついてこようとしただろう。だから、わしは君に悟られないように準備をしていた。この旅は、神になるための旅だ。この愚か者を許してくれ。
追伸
店及び店の商品については君のものだ。どうぞ好きにしてくれ。
親愛なる弟子ダグラスへ アウロス・ギル・プリジンベ
私は憤慨した。神になる旅だと。そんな勝手なことを許すことが、当時私にはできなかった。
私はその日のうちに、荷物をまとめた。この村を出てまた旅をする、そう決めた。
店を出るとき、アウロスが大切にしていた剣と盾が目に入った。それは西洋風の作りで、剣は金で、盾は青銅で作られていた。私はアウロスが、この剣と盾は魔力がある。私が死んだら、これはお前のものだ。と言っていたのを思い出した。私はその剣と盾を持っていくべきか迷った。結局、武器は必要だったため持って行くことにした。
それから、長い旅をした。不思議と寿命は訪れなかった。身体は若いままだった。それがドラゴンの肉の力だとは気がつかなかった。
放浪者としてさまよって、私は緑の大地で力尽きた。
気がつくと、一匹のネズミに看病されていた。若い雌のネズミだった。私は彼女に恋をした。彼女の名前はカレンだった。
9
先生は遠くを見た。夜空には無数の星が輝いていた。
「私の半生はこんな感じだった。どうだい、これで納得したかい」
俺たちはダグラスの話をうっとりと聞いていた。半漁人たちも縛られた状態で静かに聞いていた。
「先生、大変な半生でしたね」
「まあね。辛いときもあったが、幸せなときのほうが多かった気がするよ」
「今は、剣と盾はどこにあるんですか」
「秘密だ。必要になったら君たちの誰かに授けよう。だが、魔力がある物だから、下手をすると自分が操られてしまうがね」
先生はにっと歯を見せて笑った。
「ところで、半漁人はどうするね。料理するか」
半漁人たちが一斉に騒ぎ立てた。
「俺は半漁人たちがもう悪さをしないなら、逃がしてやってもいいと思います」
「大人だねえ」
正影は俺を睨んだ。
「半漁人はまた悪さをするだろうよ。ゲールも腹が減ってるみたいだし、こいつらは食われて当然なんじゃないか?なあ、ゲール」
「おいらに無茶振りしないでよ。まあ、半漁人を数人食べさせてくれたら、おいらは他のには興味ないけど」
「ほらな、義。悪い奴は鉄拳制裁を食らわす。これが自然界の掟だ。弱肉強食って言うだろ」
「まあな」
「生きるためには、他の生き物の命が必要なのです」
正影はしみじみ言った。
「ということで食べよう!」
正影がひとり半漁人を掴んだとき、
「助けてくれ!お願いだ、望みのものは何でもやるから!」
と半漁人が暴れだした。
「何かいいものがあるのか」
「あります、あります!」
他の半漁人たちは、正影に掴まれた半漁人を、信じられない、といった眼で見ていた。
「何がある?具体的に!」
「は、はいぃ!古くから伝わる水瓶です」
他の半漁人たちは、やっちまったー、とでも言いたげな表情だった。
「ほー、それはどんな水瓶だ」
「魔法の水瓶です。水瓶をひっくり返すと、結界を作ることができるのです」
そう言って半漁人は崩れた。
「結界だ?どうせ、嘘かましてんだろ?」
他の半漁人たちは顔を見合わせたが何も言わなかった。
「貴様らあああぁぁぁ!命が惜しけりゃ、さっさと吐けや!」
「ひいいいぃぃぃ・・・・・・」
半漁人たちは震え上がった。だが、命と水瓶を天秤に掛けられたら、さすがに命のほうが重かったのだろう。半漁人たちが口を開いた。
「水瓶はこの湖に代々伝わる大切な宝だ。だからてめえらみたいな、乱暴者に渡すことはないんだ」
「だが、命を掛けて守るには僕らには不要だ」
「だから、水瓶をやるからさっさと消えてくれ」
「魚を食べたのは済まなかった。だから、このとおりだ」
半漁人たちは頭を地面にこすり合わせていた。この光景を見ると、俺たちが半漁人をいじめているように感じるかもしれないが、いたってそんなことはない。半漁人が悪いのだ。断固そこは譲らない。
「義、どうする?」
「水瓶を取りに行かせたらいいんじゃないか?勿論、人質を残して」
「それがいい。わかったか下種どもっ!」
半漁人たちはうなずきあった。水瓶を渡せば開放される。するとひとりの半漁人たちがこう言った。
「水瓶は大きなものなので、ひとりでは行けません」
「おおそうか。なら、三人だ。さあ、誰が行くかは決めていいぞ。早くしろ」
半漁人たちはひそひそと、相談をしていたが三人はあっけなく決まった。
三人の半漁人たちは縄を解かれ、凍てつくような湖に戻っていった。
「早くこいや、水瓶」
半漁人が戻ってくるまで俺たちはしりとりをしていた。案の定先生は遠慮したが。俺たちが無理やりやらせた。ゲールは知っている単語が少ないという理由から除外された。
ダグラス 「しりとり、りんご」
トム 「ごりら」
パーシー 「らっぱ」
この辺までは大体一緒である。
俺 「ぱ?パイナップル&トロピカルフルーツのスムージー」
正影 「じー、ジーコジャパっ・・・・・・おっと危ねえ。『ん』がつくとこだったぜ」
俺 「正、はよ」
正影 「おおう、ジーンズ。ここは、パンのほうじゃないぞぅ」
ダグラス 「ジーンズって何?まあいいや。ズ、ず?ずる」
トム 「る、ルーレット」
パーシー 「トラウマ」
俺 「真水ー」
正影 「まみずう?う、ウルトラマ・・・・・・ウルトラメン!複数形だぞ」
ダグラス 「どっちにしろアウトだ」
正影 「ぬおおおぉぉぉ・・・・・・」
こうして俺たちのしりとりは三週目に突入しないで幕を閉じた。
半漁人たちはそれからしばらくして戻ってきた。半漁人たちは大きな水瓶を持っていた。
「これは素晴らしい」
ダグラスが感嘆の声を上げた。水瓶はシンプルながらも、高級そうな作りだった。模様はなく、丸みを帯びた形をしていた。色は透き通るような透明をしていた。ダイヤモンドのように輝いている。
「これが代々伝わる水瓶です。さあ、我々を解放してください」
「まあ待てよ。こいつの効き目を試してからだ」
正影は半漁人から水瓶を引ったくり、水瓶をひっくり返した。すると、水瓶から半径三メートルほどの円が正影の周りを取り囲んだ。正影の近くにいた俺たちは、その円に飲み込まれた。外側にいたゲールが円の影響かぼやけて見える。
「ゲール、外側から触れないのか」
ゲールは前足の先で透明な壁をつついた。
「おいらがそっちに行くのは無理そうだ」
「思いっきり体当たりしてくれ」
「仕方ないなあ」
ゲールは翼を動かすと空を飛んだ。空中で小さく旋回した後、ゲールは垂直に俺たちのところへ突っ込んできた。ぶつかる、と思ったがゲールは透明な壁に衝突し、地面に転げ落ちた。
「大丈夫か」
ゲールは俺たちのほうを睨むと、大きく炎を吐き出した。ゲールの元へ行こうとしたため、正影が水瓶をひっくり返した瞬間だった。バリアは解かれ、ゲールが吐いた炎は俺たちに直で来た。俺たちは黒焦げだ。やけどした俺たちはすぐさまいてつくような水の中へ飛び込んだ。今度は冷たさで、死にそうだった。先生と水瓶は焦げた様子もなく無傷だった。
「大丈夫か」
先生の手を借りて俺たちは陸に這い上がった。半漁人たちはくすくすと笑い合っている。喧嘩っ早い正影は、ぶるぶるっと身体を震わせ水を飛ばした。
「おい、お前らなに笑ってるんだ」
辺りは静まり返った。
「ふん、貴様らなんぞいつでも俺が食べてやらぁ」
半漁人たちは泣きそうな顔で俺を見た。俺が庇ってくれると思っているらしい。
「まあいい。さあ、湖へ戻れ。そして二度と俺たちの視界に現れるな!」
正影はその鋭い爪で、半漁人たちを縛っていたロープを切った。半漁人たちは別れの言葉を言うでもなく、凍えるような湖へ戻っていった。
「さあ、私たちも家へ戻ろう。食料はないが、家は完成したんだからぐっすり休もう」
「そうですね、先生」
俺たちは、簡易ハウス目指して氷の上を歩いた。
簡易ハウスに入ると、中は意外と広く、天井と床も満足できるものだった。ゲールは生まれたときよりも格段に大きくなっていたが、簡易ハウスに入れないくらいではなかった。
「今日の戦利品だ」
正影は水瓶を部屋の隅に置いた。
「この水瓶は持ち運びが不便そうだなあ」
「まあ、しばらくはここにいるのだから、持ち運ぶ必要もあるまい」
「先生、もし盗まれたらどうするんです?」
「盗まれる心配はないと思うんだが」
「なぜです?」
「半漁人はもうここへはやってこないだろうし、ドラゴンはここに水瓶があることを知らない」
「でも、この水瓶は半漁人の宝ですよ。いつ取り戻しに来るか」
「心配するな。水瓶ごとき、たいしたことじゃない。攻撃は最大の防御と言うだろう。自分を守るのは自分。物に頼っていては強くはなれないぞ、義影君」
「はい、先生」
「さあ、今日はもう遅い。眠ろう」
俺たちは床の上で眠った。